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Diary


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  12月31日   3回目の年越し

「あーく」の竣工は2000年12月末、正に世紀末。今度で3回目の年越しとなる。そして、このHPを立ち上げて1年8ヶ月が経過した。
 
 昨年末の日誌を読み返すに、専用AVルームを得られたことで、落ち着いて音楽を聴けるようになったこと、そしてネットの御陰で思わぬ方々と交流ができ、その皆様に対する感謝の意を掲載している。これらに関しては、今年も全く変わるところはなく、更に多くの皆様のお世話になって、より楽しくオーディオの進化も加速している。
 
 しかし、「分相応」であったかどうか、ここのところは反芻してみなければならない。専用AVルームそのものを「夢」として実現できたことすら幸せである。「趣味とは無駄である。」としても、盲目的な浪費は浪費であって趣味とは言えない。やはり、そこには目的と手段の考慮・選択が必用。また、ネットオークションでいろんな物を積み込んだり、放出したりもした。それも、実際に連絡を取り合ってみるとお知り合いだったり、そこからまた直談判で格安でお譲り頂いたりと、つながりの妙を感じることもあった。
 
 写真は、皆様もご存じでいらっしゃるであろう方に、40枚近いセットでお譲り頂いた中の一枚である。強烈な依存症を惹起する劇薬。
 

  12月30日   超低DCRコイル

TONE FACTORY HEAVY RING COIL RC series という、スーパーHFコアのRトロイダル型鉄芯に平角銅線を縦巻きした、えらく手の込んだもの。どうやって作るんだろう?そういえば、昔、おもちゃで階段を勝手に下りる平型リング状コイルがあったなあ。今でも売っているんだろうか。
 
 SWの接続にいろいろと実験してきた。PAは、音質は好み次第だが、やはり電源の強力なものがいい。ではハイカットをどう行うか。当初、プリをC−AX10にしたのも、この点を重視したからだった。その後、プリ(フォノイコ)の試聴をするにあたり、通常のチャンデバでカットオフを50Hz・−18dB/oct 、ネッシーはスルーで聴いてみると、70Hz・−96dB/oct でSWとネッシーを直角につなぐよりも、むしろ自然な感じがした。そこでさらにシンプルなコイルを試したくなった。普通は、この逆のコースをたどるものだろう。
 
 コイル。さて適当なものは?10mHなんて大きなものは既製品にはないので、いろいろと試聴するわけにはいかないし、借りることもできず、一発勝負で購入するしかない。そんなとき、TE27さんから東一電気(株)というメーカーが画期的なコイルを発売したことを聞き、それがMJ誌’02年10月号に掲載されていたので読んでみた。10mHでDCRが47mΩ?!通常のコイルより二桁も低い。自重1.2kg、価格は1ヶ18000円、安くはないがバカ高くもない。おもしろそうであるし、まだ殆ど誰もやってないのではないかと、即発注した。
 
 当然鉄芯の回りを巻いてあり、平型銅線はビンビン共振しそうに思っていたが、実際はベース側1/3から鉄芯周りにかけてエポキシで固めてあるので、爪で弾いてもほとんど鳴きがない。9500のヒートシンクの要領で一寸だけブチルテープを貼ってやると、鳴きは全くなくなる。

  12月29日   PJ用ラック

 PJの納入は1ヶ月も先なのに、気は流行るばかり。今度は専用ラックの制作だ。当方、年月ばかりが長いオーディオ歴の間に、いつの間にかたまってしまったGTラックを「あーく」でも使用している。Z10000のレンズ中心高は約10cm、GTラックに乗せると53cmになる。スクリーン下端の床からの高さは、SW−7が占拠しているので、精一杯下げても約35cm、黒いマチを考えれば45cm程。差は−18cmしかないので、Z10000の画像最下端0〜137cmにおいてはやや低すぎる。PJを視聴位置の真ん前に置くので、あまり高く設置したくないが、もう少し高い方がいい。そうすると、ラックの中の空間も広がるので、プリアンプのみならず、フォノイコライザーなども納められるようになる。これで設計してみたのが写真。そのつもりで(普通のコンポサイズではないC−290Vが入るように)作ったので当たり前だが、ピッタリだ。まだC−290Vが鎮座しているのは、ちょっとした浮気心が本気めいてきている証拠か。

  12月28日   別の熱が・・・

ようやく体の熱は下がった。そうするとすぐに虫が動き出す。しぶといオーディオ虫である。まだ鼻と耳はおかしいことこの上ない。しかし、いじくり回すことはできるのだった。それを唆すかのように、昨日、東一のコイルが届いた。これについては、別の機会に報告しよう。
 
 それより、DVDプレイヤーを決めなければならない。プロジェクターより先に入荷しておかないと話にならない。以前、このHPを作っているノートPCを似非HTPCにしよう、などと戯けたことを載せたことがあるが、TVに接続してみて、その使い勝手の悪さに閉口してしまった。HTPC使いの皆様の根性に敬服する次第である。当方のような、VAではなくAV主義者にはHTPCも3管プロジェクターも適当ではない。
 
 しかし、中級機(どこまでを中級というのか?)においては、当方の気を引くプレイヤーがなかなかないのだ。この際、条件としては、
@DVDビデオおよびオーディオがかかること。ただし、プログレ再生の意味がある画質であること。
ASACDがかかること。マルチはどうでも良い。
B30万円前後以下で買えること。
 しかるに、エソテリックやラックスは高嶺の花。しかも、この価格帯なのにパイオニアの光学系を使っていることが引っ掛かる。MARANTZも同様。元祖パイオニアのDVD−838Ai の方が独創性・C/Pに圧倒的に優れると思う。でもさすがにプロジェクターとはインバランス過ぎるし、変なこだわりではあるが、パイオニアが重なる事も(C−AX10と)ちょっと悔しい。SONYのDVP−9000ESはいい価格だがすでに販売完了。そこで丁度出てきたのがYAMAHAのDVD−S2300だ。今度はOEMではない。DVDとSACDは別回路、DCDi はファロージャを使用しているし、DACは最近の常識となった192kHz/24bit、ドライブ系も自社開発で大型(?)スタビライザーを備えているらしい。消費電力28W、重量8.7kg、定価12万円。これだ!

  12月24日   時代環境とオーディオ

数日、風邪ひいて音が聞けないので、変なことを考えている。おかげでアップが毎日だ。あれ?逆じゃないの?
 
 世の中、簡略化と質の向上、相反する問題を解決しようと、もの凄い力が注がれている。そして、この問題は解決に向かって着実に進行している。その中心がコンピュータであろう。当方の所には、PCが3台もある。仕事用、家内と子供用、そしてポータブル。そして、来年早々、ADSL開通の予定で準備を進めている。しかし、仕事用はもう数ヶ月以上使用していない。というより使い物にならない。最近の促販物は画像がやたらと多く、メモリーやハードディスクの容量が足りない。ノートPCの方が倍以上の容量とスピードがあるし、LANを組んでしまえば、全てこれ一台で事足りる。このHPももちろんノートPC。個人的にはPC、まだまだ複雑怪奇で誰もが扱える代物だとは思えない。PCだからこそ、キーボードでどう入力するのか知らなくても、ポケットサイズで音声入力で全てまかなえるところまで簡素化され、壁の電灯スイッチ感覚で扱えれば合格としたい。もちろん、生き物としての最低限の行動の余地を残しておかねばならないが。
 
 今日は長女の誕生日。本人は「誕生日とクリスマス(ちなみに当方は浄土真宗なのだった。南無阿弥陀仏。)が重なって、パーティが一回しかなくてイヤだ。」というので、プレゼントだけは2つ用意することにしている。いやいや、1つはサンタさんからですよ!
 そこで、今年、ケイタイ(携帯電話のこと、、、なんて注釈しなくても皆さんお分かりか)が欲しいと言い出した。始めはとんでもないと叱咤したのだが、周囲をよく見て聞いてみると、なーんとケイタイは当たり前みたいになっている! まだ小学生だぞ! そのまだが違うのだ。今時の子供、ケイタイを使えないようではいけないのかもしれない。授業ではPC使ってインターネットだ、メールだ、と教え込んでいる。気がつけば、ゲッ!横の家内のPCでオンラインゲームやって遊んでいる!オレは教えてないぞ。
 今時の世の中、確かに危険がいっぱいで、連絡をとることは安心や安全につながるし、ケイタイの別の機能として、今居るところが地図上で確認できるという事がある。これでご用となった宝石泥棒の話は有名である。
 
 音楽の使い方も変化し、というより広がって、配信音楽というものが一般化され、同時にコピーも絡んで著作権の問題が頂点に達しようとしている。副産物としてCCCDなんぞという、当方にしてみれば箸にも棒にもかからない、どころか音楽をダメにするような時代逆行パッケージメディアまで出てくる始末。CDの歴史20年、その間、どれだけの人と時間を費やして、CDの音の向上図ってきたことか。それを一瞬でかつてない劣悪なものにした罪は大きい。その音楽が価値があると思えば、聞きたい人は所有したいと購入するし、コンサートでしか体験できないものも承知しており、ちゃんと出かけてゆくのである。パッケージメディアによるオーディオも、主流ではないにしろ、部分的PC化を行いながらも重厚長大の方向に進み、モバイルや軽薄短小では再生できない高音質の音楽を奏でるべく、残ってゆくものと考える。いくら小型最新パルス電源やIC化されようとも、その容量(?)は不必要な位大きな物を使用した方が音はいいに決まっているし、体積が小さくできる分、筐体を頑丈にできると言うものだ。CHORDがその先駆けかもしれない。
 
<注>写真はタイムロード社のHPからお借りした。

  12月23日   XV-Z10000

発注した。映像音痴でもあるからしてDLPを選んだ、なんてこと言ったら、このプロジェクターには失礼にあたる。液晶プロジェクターの元祖シャープが液晶を捨てて(?)挑んだDLP、その第二世代DLP(HD2)プロジェクターだ。しかも、定価で100万円を切っている。今月、YAMAHAからも同じデバイスを用い、伝統の1000番を頂いたDPX−1000が出る事になっており、これも相当にひっかっかる所があるのだが、その価格は大台を超えるだろう事は言わずと知れている。
 
 昨年、XV−Z9000を視た時、「ウーン」と唸ってしまった。余程購入しようかどうか迷った。それでも3管とは比較にならなかったし、それで定価約90万円は・・・。ところがZ10000、出てくる映像は価格差わずか8万円とは思えない程の向上がある。ほんの触りしか体験してはいないが、今度は映像も3管との比較対象になり得ると思う。バージョンアップみたいな価格差だが、Z9000の内容がそれだけ完成度が高かった恩恵であろう。逆に言えば事実上のバージョンアップであって、Z9000のカタログ落ちは時間の問題か。
 
 年内納入、間に合うかな?!

  12月22日   遂に「V」始動
当方の「V」の話。1958年生まれの当方、例に漏れず、東京オリンピックを「SONYのトリニトロンカラーTV」で見ることに始まったといっても過言ではない。また強度近視で、小学生の頃からこの不便さと付き合ってきた歴史がある。今でこそ眼鏡小僧は珍しくないが、当時はいじめの格好の対象であった。
 
 ある日の身体検査、視力表の一番大きな記号や字がやっと見える状態であることが判明し、そのことが親に伝えられた。早速眼鏡屋へ連れてゆかれ、セルロイド製の黒縁眼鏡を作ってもらったのが小学校3年生だったかな。初めて眼鏡をかけて、目の前が別世界のようにクリアーに見えたときの驚きと感動は今も心の奥底に残っている。これをオーディオで表現すると、システムが進化してゆくときの目の前の音場がパーッとクリアに広がってゆく様にも似ているが、たとえプリをC−2800に代えようとも、このときの感動には遙か及ばないであろう。
 
 その後、近視は徐々に進行して、その間眼鏡を取り替えること幾度。そのうちコンタクトレンズなるものが出現し、試してみたが、出始めの頃のレンズはぶ厚く、当方の過敏な目にはとても痛くて適合しなかった。ソフトコンタクトレンズが発売されたのが高校生の頃、やっと実装することができた。器械体操をやっていた当方、このときの感動もひとしおであった。宙返りしても眼鏡のようにすっ飛んで落ちることがないのだ!しかし、装用時間に制限がある欠点がつきまとう。眠るときにははずさねばならない。目が覚めたときの景色はボヤボヤで、アンプの電源を入れたばかりのボケた音場どころの騒ぎではない。本当に、何処に置いたのか覚えていないと、自分の眼鏡さえ探すのに全く苦労することになる。
 
 現在、使い捨て連続装用レンズなるまっこと便利なものができ、目の調子が良ければ1週間付けっぱなしで、いつ眠ろうと、いつ起きようとも目の前ははっきり見えるようになった。画期的なことだった。しかし、これとて異物、目の不調の際には眼鏡となる。連続装用の分、かえって眼鏡をどこに置いたのか更に覚えがなくなっていて、しかも最近の眼鏡フレームはやたら細いものが流行っており、コンタクトレンズを付けていない時の当方には、眼鏡の捜索は至難の業。また、乱視を矯正する力はほとんどなく、加えて最近は老眼の傾向が出始め、遠くも近くも見にくいという困った状態に直面している。
 
 そんな当方、大画面をこよなく愛している。単純に大きくて見やすいからだ。目が悪い分、フォーカスのずれはやたらに気になるが、それを合わせることも大変な苦労となる。それより色には更に敏感で、濃すぎるTVには閉口しているが、適当なコントラストがないと見えにくいことも事実。
 Vの最高峰は3管投影機によるホームシアターであることは率直に認めるものの、以上の理由で、当方にとっては3管プロジェクターは二の足を踏まざるを得ず、じっと静かに次世代プロジェクターの出現と成熟を待っていた。
 DLP第二世代だ。当方としては合格のハンコを押したい。液晶と比較しても、色を見ればDLPの優位性は明らか。究極のDLPであっても、赤や黒が3管に迫る、であって越えることはないのは分かっているが、設置、移動、設定の容易さは比較にならない。従って、余計なことだが、対外的には営業に使っていると言い訳もできる。そして今年は大蔵省のGOサインも出た。5インチTVよ、さようなら。そして、いざ出陣。

  12月21日   珍しく車ネタ
壊れたわけではないが、方針変更といったところ。サイズは自分の手足のようにコンパクト。グイとばかりに加速して、キュキュッと曲がって、ギューッと止まる。その代償は、乗員数に制約があること。もちろんどんな車にも定員はあるが、以上のような車に7人乗りはあり得ない。
 
 本年1月、当方には3人目の子供ができた。法令によると6歳未満の子供が乗車する際にはチャイルドシートを必用とする。該当者は2名。後席は2個チャイルドシートを取り付ければおしまい。残る定員は前席2名。家族は6人。ムリだ!いつもいつも家族全員が乗り込む訳でもないのに、家族から特に上の子供2人からはヤンヤのミニバン購入催促の嵐。
「子供じゃなくなれば必要ないだろ!」と叫んでも、
「それまでどうすんの?・・・・・」
「一時しのぎなんだから、中古で探そう。」といって家内の出産間際から1年抵抗し続け、ついに愛車の1996年型スバル・インプレッサ・スポーツワゴンWRX(白)は下取りに行ってしまった。代わりにおいでになったのは2000年型NISSANプレーリー・リバティ(白)。当方、オーディオのみならず車も中古なのであった。ジャン♪ジャン♪
 
 それでもって、どうも納得が遺憾のは、その追金が自由に使えたとして+現用プリの下取りでもC−2800が買えないことだ。・・・・・・それにしても走らん(-_-;)。こいつはラジカセか?

  12月20日   E-1プロトタイプ試聴

なんで後ろ姿なの? やっとメーカーから試聴機を拝借できた。完全な(?)試聴用プロトタイプで、リアパネルにプリントがないところをお見せしたかっただけ。箱もB−1を上からダメてE−1に直してある。取説が入っておらず接続にちょっととまどったが、経験と勘でつないでみたら一発的中。向かって左から入力1・2、右が出力。そんなこと、皆様ならすぐにわかることかな。
 
 試聴期間は1週間もあったのに、当方の仕事と体力の関係で半日しか試聴できなかったのが残念。この間、電源は入れっぱなしだったので、ある程度の実力は発揮してくれただろうと思っている。
 筐体は頑丈、高級感も十分。全面スイッチで、入力1・2、MM/MC、ロードの切り替え可能。リレーも静かだが切り替わるのがわかるタイプで、切り替え時間も遅くない。ハムも出ないし、ノイズは耳障りではなくS/Nも良い。とても使いやすい。ただ、この薄べったい形は気にくわない。
 音は、はっきりくっきり聞かせるタイプだが、妙なメリハリはない。情報量も切れも力強さも十分。これだけ聴いていると特に不満もないが、2000ZRに比較すると音場は少し狭く、情報も少し整理された分バックグラウンドがすっきりする感じがする。超低域の伸びは今一歩。どちらかといえば打楽器系のほうが得意。ただ、このE−1、全くのプロトタイプで、市販品が同じ音という保証はない。また、お忙しい身らしく、今日メーカーに返却して、20日からユニオンで試聴会に引っ張り出される予定。惜しみながらさようなら、、、。
 
 定価22万円。アキュフェーズのAD−290シリーズが定価20万円であることを考えると文句なくハイCPだ。新規導入の方は、まず選択の候補に入れていいと思う。C−17+2000ZR+プリなんて面倒で変則的な使い方よりはいろんな面でいいことがあるが、当方の好みからすると交換するには至らないのであった。新品のC−17+2000ZRみたいなフォノイコ出ないかなあ。
 

  12月6日   さよなら、CD-10

 今日、NECの銘CDプレイヤーCD−10について、残念な情報を知ることになった。くずてつ船長の掲示板で、ギルビーさんとtakechanさんのやりとりを拝見した。メーカー修理が不可能となったとのことであった。
 
 当方のCD−10、発売間もなく購入したもので、特に「あーく」を建てる前のリスニングルームがなかった数年間、ヘッドホンをつないで聞かざるを得ない状態であったが、それでも十分に楽しませてくれた。もちろん、その前には主力CDプレイヤーとして数年間働いてもらっていた。
 それが、つい最近の数日間、音飛びが顕著になってきて、調整に出そうと考えていた矢先の情報であった。ギルビーさんもtakechanさんも同様の症状、ピックアップの寿命と思われるが、メーカー在庫がなく修理不能。それほど沢山のCDプレイヤーを試聴したわけではないが、CD−10には独特の破天荒な表現力があり、大変気に入っていたので、残念至極である。
 
 本年も残すところ25日。本年は本当に度々愛器の故障に見舞われる年であった。その締めがこれであることを願うばかりだ。この際は、ジャンクなどには出さないで、「あーく」のどこかに記念展示しておくとしよう。

  12月4日   ゲルギエフに会った・・・
・・・のは当方の家内。「何で会えるんだよっ!」
 
 昨夜、家内が帰ってくるなり気色悪いニコニコ顔で話しかけてきた。「今日素晴らしい人に会ったの (*^_^*)」
 家内は熊本交響楽団 (http://www2.biglobe.ne.jp/~kumakyo/jpn/) というアマチュア集団の一員でVnを演奏している。昨日は、年末恒例の演奏会、「第九」の練習に出席していた。そうしたら、突然後ろから「ゲルギエフ」が入ってきたと言うのだ。こんなメジャーな方は福岡止まりがほとんどなのだが、本日は珍しく、熊本県立劇場でゲルギエフ指揮の、しかもあの話題のシェヘラザードが演奏されることになっていた。別室でリハをやっていたゲルギエフさんは、自分のリハが終了すると、熊響が練習しているのを嗅ぎつけて、宣伝がてら乱入してきたらしい。「ミナサン、アシタ、キテクダサイ・・・。」と日本語で、、、。
 
 残念ながら、当方は申し込みが遅れてチケットを入手できなかったので、憤懣やるかたなく本日を過ごしつつあるわけだが、そこにもってきて、家内だけがゲルギエフに会ったという。それを聞いて開口一番、「何で会えるんだよっ!」というわけ。ちゃっかりサインでももらったのかと思いきや、呆然と見過ごしてしまったという。・・・「阿保か?!」
 
 ちなみに当方の家内、よく有名人に出会う奴で、バブル絶頂の時代に阿蘇のサーキット場ができて(今や不良債権になってしまっている)、その開場記念パーティーに、やはりVn演奏で出かけた時の事である。今は後藤久美子の旦那になってしまったが、当時新進気鋭のF1ドライバーであったジャン・アレジに会って、残念ながら(?)3ショットの写真を撮ってもらい、今でも宝物にしている。その時、帰宅して言うことにゃ、
「この人って有名人?」だと・・・そんなお前だけが何で・・・。

  12月2日   デジカメ と 銀塩カメラ

何のことかと言えば、C−AX10とC−290Vの比喩である。C−290VとAD−290は、何故かまだ当方の所にあるので、前回の電源コードの極性を間違えての試聴をやり直した。あれから時間も経過したし、両者ともエージングが少しは進んだ状態での結果である。デジタル・アンプのC−AX10、アナログ・アンプのC−290V、そのまんまじゃないか。あまりに短絡的と言えばそうかもしれないが、これが当方の結論だ。
 当方、Vは5インチTVしかない身分なので、あえて動画ではなく静止画像に例えてみた。
 
 C−AX10の音の描写は、実に細かいところまで見えるよくできた高画素数のデジカメ写真のごとしである。ある意味柔らかさを伴って、しかも非常にすっきりとした音場を聞かせ、いろんな音がごっちゃにならずに聞き取れる。しかし、よーく見ると小さなつぶつぶが見えるような、触れば滑らかなんだけれどツヤツヤではない。25xsVer.2は、デジタルインした時の方が、ドンシャリ感が少なくていいように感じた。
 
 相対的にC−290Vはと言えば、レンズのできのよい光学カメラで撮影し、光沢印画紙にプリントしたような音場、とでも表現しようか。音像の輪郭がハッキリしていて、時に質感が本物以上にも感じられ、攻撃的でさえある。しかも耳障りな雑音がない。ただ、まだほんのちょっとだけ金っぽさがあるかも。音像は決して近くに大きく展開するのではなく、中高域は所定の位置で炸裂してこちらに向かって飛び出してくる。低域は、超低域まで伸びて実に力強い。当方の好みからはちょっと締まりすぎの感あり。分解も素晴らしく良いのであるが、余りにエネルギー感があり、ややもすると音が重なってしまいそうになることがある。これは、部屋・機器・当方の耳の問題かもしれない。また、C−17経由でPRA−2000ZRをフォノイコとして繋いでみると、その真価を発揮して相性抜群だ。初めてZRのフォノイコの本来の音を聴いたような気がする。
 
 音は随分違うのに2台とも欲しくなってしまい、やっぱり、ポリシーがない当方であった。
 
 
 

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