1月末風邪を引ひいて、治るまでに時間がかかり、後頸部〜後頸部痛が始まり、しつこい咳のせいで頸椎ヘルニアをぶり返したとばかり思い込んでいた。2月14日、朝から気分が優れず、昼前、自宅に帰って血圧を計ってってビックリの210/110mmHg。当方は更に気分が悪くなって動けなくなったので、たまたま帰省してそこにいた例の三女に薬を飲む水を持ってきてくれるように頼んだまま、倒れてなにもわからなくなった。三女は気丈にも直ちに心マッサージをしつつ救急を呼んで、済生会病院に搬送された。くも膜下出血最重症型との診断だったそうだ。当方は全く反応がなく、呼吸もしていないので治療の適応外。人工呼吸器をつけていたところ、悪運強く数時間後に自分で呼吸を始めたので、夕方から手術開始となった。右椎骨動脈の解離破裂であった。カテーテルでプラチナワイヤによる塞栓術を施行されて止血。ドレナージをして終了。写真は、倒れたときに来ていたアンダーシャツで、蘇生の際に前を切って脱がされたもの。記念に(?)とってある。
主治医の声かけで、麻酔から覚めて目を覚まし、経緯を聞かされて、生きてるんだと思った。その後、頭痛が痛いのなんの。「痛みは1から10まででいくつですか?」との問いかけに、じょうだんだろ!とは言えず、「10です!なんとかしてください〜。」あらゆる鎮痛剤も功を奏せず、ひたすら我慢の10日間、眠れない、食べれない、二度と経験したくない。脳外科の知識なんぞ学生時代で止まっているが、昔は椎骨動脈破裂は治療のしようがなく死が普通だった。現在でも最重症であり生還する確率はおおざっぱに1/3くらい?しかも後遺症なしである。
治療後14日を過ぎる頃から、すこしずつ頭痛が和らいできて、食欲も出てきた。リハビリも始まったが、すぐ疲れる。目に入ってくる風景は受動的にみえてるだけで、術後17日頃からなにがおきているのか見ようとする意欲が出てきた。脳の状態を判断する心理テストみたいなものもあるのだが、コレが集中力を必要し、短時間集中が更に疲れるのでやりたくないのだが、心理士の先生にはそうは言えない。
一昨日頃から寝てるだけだと退屈で、疲れないので眠れないし、夜中に寝れないと更にきついという悪循環に入ってきた。退院をしてもいい旨聞いていたので、本日午後から急遽退院して自宅に戻ってきた。体重は7kgも減っていた。
といいうわけで、日誌の更新ができなかったのである。まだオーディオをしようとかいう気が起きない。
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